【スマトラ旅行】ブキットラワン+タンカハン3泊4日の旅
こんにちは。
先日連休を利用し、インドネシア協力隊仲間が遊びに来てくれました。
北スマトラの大好きな場所、ブキットラワンとタンカハン。
ブキットラワンとタンカハンの事をもっと多くの人に知ってほしいと思い、今回の旅の様子をモデルプラン風に紹介します。
(以前旅行会社で企画担当していたので)
※雑誌風「ブキットラワンとタンカハン旅特集」記事はこちらから。
DAY1
20:00 メダン クアラナム空港到着
SQ・GA・MHの午前日本発便を使えば、夜メダンに到着出来ます。
タクシーまたは列車で市内ホテルへ移動(渋滞がなければ空港→メダン市内は1時間程度)
21:00 メダン市内ホテル到着
明日の長旅に備え早めに就寝。
ちょっと元気があれば、市内の夜店やマッサージを楽しむのもあり!
DAY2
06:00 メダン市内ホテル出発 ブキットラワンへ!
予約してあったレンタカーに乗って出発!
市内ホテルからブキットラワンまで、観光客向け乗り合い車もあります。
07:00 朝食
メダンの隣町で朝食タイム。
中華街で有名な水餃子麺「Mie Pansit」を!
09:30 ブキットラワン到着
トレッキングに向けて準備
水分を忘れずに!
10:00 ブキットラワン オランウータントレッキングへ出発
1時間ほど歩くと…「オランウータンが!」
オランウータン以外にも、いろんな動植物に出会えます。
12:30 川へ到着。
旬の果物でパワーチャージした後は、ひと泳ぎして川下り開始!
大きなタイヤに乗ってブキットラワンの大自然を進みます。
13:00 川下り終了。
ガイドにお願いしてあった名物「ドリアン」を堪能。
季節が合えば、ぜひお試しください!
13:30 エコロッジで昼食
自家製オーガニック野菜を使った美味しい料理!
2階には、ゆっくりくつろげるスペースもあります。
14:30 ブキットラワンの街並み散策
お土産はここでゲット!
涼しい洞窟や、高さのある桟橋なんかもあります。
15:00 タンカハンに向けて出発
道はガタガタ。どうか雨が降りませんように。
※天候によっては、近道が使えずブキトラワン→タンカハンの移動が6時間以上かかることも…。
18:30 タンカハンに到着
馴染みの「Tangkahan inn」でスタッフがお出迎えしてくれます。
19:30 宿で夕食
明日のアクティビティの予約もしちゃいましょう。
ゾウ乗りトレッキング(Rp1jutah 約8,500円)やゾウ水浴び(Rp250,000 約2,000円)などがあります。
22:00 就寝
トレッキングや移動で疲れたので、明日に備え早めに。
DAY3
07:30 起床
08:00 宿で朝食
08:30 ゾウ乗りトレッキングのポイントまで移動
ゾウセンターで旅行者登録。可愛いタンカハンオリジナルグッツもゲット!
09:00 向かい岸からゾウさん登場。
ゾウさんにみんな大興奮!かわいい子ゾウもいました!
09:30 ゾウの水浴びタイム
ゾウの水浴びをお手伝い。
綺麗になって気持ち良さそう!
10:00 ゾウの餌やり+写真タイム
ゾウの鼻から出る水をかけられたり、ちゅーしたり。
とっておきの写真が撮れます!
11:00 ゾウ乗りトレッキングへ出発
国立公園をゾウに乗って探索。
希望すれば、椅子なしで乗らせてくれるかも!
12:00 ゾウさんありがとう!
ゾウさんと別れ、タンカハンの川遊びへ!
13:00 温泉や滝で一休み
タンカハンには小さな温泉があるんです!
久しぶりの温泉にほっこり。
綺麗な滝も3つほどありますよ。
14:00 ちょっと遅めの昼食+リラックスタイム
Visiter Center 近くの宿「Mega inn」で生演奏を聞きながら。
16:00 休憩
遊び足りない人は、宿近くの川でもうひと泳ぎ。
川辺のお昼寝も気持ちいいです。
18:30 宿で夕食
他の宿泊者とも仲良くなれるかも!
20:00 川沿いでキャンプファイヤー
宿のスタッフにお願いしたキャンプファイヤー!
綺麗な星空と蛍、川のせせらぎが。。。
22:30 ギターも登場していい雰囲気で夜は更けていきます。
DAY4
07:00 空港に向けて出発
名残惜しいけど…ありがとうタンカハン。
08:00 道沿いの街で朝食
スマトラの名物「パダン料理」を食べました!
おすすめは牛肉のココナッツ煮込み「レンダン」。
12:00 メダン クアラナム空港に到着
空港内にはお土産屋さんやマッサージ、スタバもあるので、時間が余っても大丈夫。
来てくれてありがとう!また遊びに来てね〜。
こんなブキットラワン+タンカハンのモデルプランでした。
次回の旅の参考してみてくださいね。
今回遠くから遊びに来てくれた隊員仲間。
彼らのおかげで、本当に楽しい旅になりました!
各任地では大変な事も多いけど、頑張ろー!
※今回は、隊員仲間が撮影した写真を使わせていただきました。
【注意】
・本ブログに記載しているのは、参考時間です。
予期せぬハプニング(タイヤがパンクしたり、道が通行止めだったり)もありますので、時間に余裕をもった行動をお勧めします。
・季節や天候によっては、危険な場所やアクティビティーもあります。
ガイドや現地の人のアドバイスをもとに、自己判断で安全にお楽しみください。
※以前のブログはこちらから
【スマトラ生活】愛しのマンゴー
こんにちは。
毎日暑いメダンはマンゴーのおいしい季節です。
日本では超高級果物のマンゴーも、こちらでは身近な果物。
今回は甘く熟したトロトロの美味しいマンゴーのお話です。
職場で取れたマンゴー
1週間ほど前職場の庭で木登りしている同僚が。
「何やってるの?」と聞くと
「マンゴー」と。
彼は取れたマンゴーを3つ僕にくれました。
「まだ青いから1週間後が食べ時」
そう教えてもらったので、台所の冷蔵庫の上で寝かせる事にしました。
待ちに待った1週間後。
そして1週間後の今朝、そろそろかなと思い冷蔵庫の上を確認すると…
「ほどよく熟したマンゴーが!」
「あれでも少ない…」
3つあったはずのマンゴーが、1つしかありません。
「あ、食べられちゃった…」
僕の家はキッチンが共用なのです。
そう、誰かが2つのマンゴーを食べてしまったのです…。
正直悲しかった…。待ちに待ったマンゴーだったのに…。
マンゴーを口に。
気持ちを切り替えて、残った1つのマンゴーを切って食べてみる事に。
「お、美味しいーーー!」
さっきまでの悲しい気持ちはどこかへ行ってしまいました。
「きっと他の2つのマンゴー食べた人も、幸せだっただろうな」
「ま、1つ食べられたからいいや〜」
そんな気持ちを寛大にさせてくれるマンゴー。
マンゴーのおかげで幸せな一日をスタート出来ました!
おしまい。
子猫のハナ
こんにちは。
今回は猫のはなし。
出会いは道ばた
4月の終わり。
活動帰りに近くのスーパーまで歩いていると、道に黒い固まりが…。
「またネズミが死んでる」
と思って近づくと、
「違う。子猫だ」
それがはなとの出会いでした。
しかもかなり弱っているようで、鳴き声もなくほとんど動きません。
猫を飼った事のない僕は、まだ生後間もない子猫に近くのワルンでもらった米と水をあげてみました。
でも食べられません。
しかもよく見ると、目やにが固まって目が見えてない…。
「猫そんなに好きじゃないし…」
と思ったものの、子猫は力を絞って僕の足に寄ってきます。
「しょうがないな。2−3日で元気になるだろう」
と思い家に持ち帰る事にしました。
家に連れてティッシュで目やにを取ろうとするも、固くて取れません。
餌も食べれそうになく、動物病院へ連れてく事にしました。
病院へいくと受付で猫の名前を聞かれます。
とりあえず頭に浮かんだ「ハナ」という名前をつけました。
※その後分かりましたが、ハナは雄です。
医者は猫風邪と栄養失調、結膜炎?と診断し、薬や餌を与えてくれました。
心配の毎日
家に帰ってからは、ミルクを注射器で飲ませたり、目に薬を塗ったり、薬を飲ませたり…。
最初の1週間ほどは自分から全くミルクを飲んでくれませんでした。
ミルクを飲むようになり、自分で排泄出来るようになり、
だんだん大きく成長しました。
いつもそばにいる存在に。
最初は部屋の外に段ボールをおいて、ハナを飼っていましたが、いつからか部屋に入れ、ベッドにも上がり、一緒に眠るようになりました。
昼間は活動でお留守番。
帰ってくると喉をゴロゴロ言わせて出迎えてくれます。
僕がシャワーを浴びる時は、浴室の前のドアで待ていて、ベッドに寝るとハナも寄り添って眠ります。
本当にかわいくて、かわいくて。
とても大切な存在になりました。
でももう8ヶ月で帰国。
はなを連れての帰国はハードルが高いです。
何より2時間+7時間の飛行機移動にはなが耐えられるかわかりません。
寂しいですが、友達の猫好きにハナをお願いする事にしました。
この4ヶ月ハナのおかげで、とっても幸せな時間を過ごす事が出来ました。
新しい家でも、元気に楽しく暮らしてくれますように。
終戦の日と独立記念日
こんにちは。
8月17日は何の日かご存知ですか?
インドネシアの独立記念日です。
お祭騒ぎの独立記念日。
独立記念日の前後、各会社や学校では様々なイベントが開催されます。
例えば配属先の事務所では、鰻とりに煎餅早食い、綱引きや卓球など各種大会が行われています。
学校でも、日本の体育祭のように大会が目白押しです。
街中の建物も国旗の赤と白の装飾がされ、どことなくお祭のような賑やかさです。
終戦と独立
同年代の同僚
この時期仲の良い同僚の中には、こんな事を言う人がいます。
「僕は日本が嫌いだ。インドネシアを3年近く占領したんだから。」
それに続き他の同僚も、
「日本の占領は短かったけど、350年続いたオランダの占領よりもひどかったらしいね」
なんて話します。
もちろん少しジョークぎみで言ってはいますが、どう反応すれば良いのか困ってしまいます。
長く続いたオランダの占領に続いて、日本に占領されたインドネシア。
その後インドネシア人は残留日本兵と共にオランダと戦い、独立を勝ち取りました。
この事について少なくとも僕の学校では詳しく勉強しませんでしたが、インドネシアの学校では詳しく勉強するようです。
友達のおばあちゃん
日本が上手で、通訳や先生を務める同年代の友達がいます。
以前彼女と話していた時、
「私が日本語を勉強すると言った時、おばあちゃんは怒って1年くらい口を聞いてくれなかった。
おばあちゃんは占領時代に日本兵から酷い事をされたらしいから」
こんな風に話してくれた友達もいました。
今では、おばあちゃんと彼女の仲は戻ったようですが…。
向かいのおばあちゃん
僕の住む家の向かいに、80過ぎのおばあちゃんがいます。
たまに通りかかると家に招待してくれ、いろいろなお話を聞かせてくれます。
ある時、ひょんな事から戦争の話を始めました。
「日本の占領時代は、それは辛かった。日本兵がくると隠れたものだ。」
そんなおばあちゃんに、日本の事が嫌い?
と聞いてみました。すると、
「日本の占領時代は辛かったけど、そのおかげで山の中に道が通って学校へ行けるようになった。
だから良かったんだよ」
知る事が大切
戦時中の歴史というセンシティブな問題で、いろいろな捉え方があると思います。
だからどこかを批判したいとは思いません。
ただ、僕は近代史の知識が乏しいと感じました。
もっと知らなければ。
世界平和のための協力隊
正直協力隊で、目立った成果を出す事は難しいです。
環境問題について言えば、2年間でこれまでの生活スタイルに変化をもたらす事は難しいです。
では、なぜ協力隊が必要なのか?
僕は草の根の友好関係を築くために必要だと思っています。
現地の人と共に働き、時には喧嘩し、たくさん話し、笑うことで、友好が深まりお互いの国を認めることが出来るのではないでしょうか。
今日もインドネシアと日本の友好のために、インドネシアで活動します。
二度と戦争が起こりませんように。
ロンボク島での地震について
幸い僕の住むスマトラからロンボクへは、飛行機で6時間以上かかるため被害はありませんでした。
また、現在協力隊もロンボクにはいません。
ただ日々のニュースでは、被災地の厳しい状況が伝えられています。
ロンボクで被災した先輩協力隊のブロブには、大変な状況の中でも、明るく前向きに生きる現地の方々の様子が綴られています。
※みどりさんは、ネットを通して募金も開始してらっしゃいます。
現役インドネシア協力隊としては、緊急資金援助と募金活動を行うことに決めました。
緊急資金援助はボランティアバザー資金から、現地のコーディネーターを通して先日被災した方々に物資を支給しました。
また、10月までの予定でインドネシア国内で募金活動も始める事になりました。
日本でも元協力隊の方が、募金を開始しています。
ご協力いただける方は、ぜひお問い合わせください。
これ以上被害が大きくなりませんように。
【イベント】日本インドネシア60年と文化祭を通して思う、ゴム時間
こんにちは。
8月17日はインドネシアの建国記念日ということで、街中には赤と白の国旗がはためいています。
今回は先日行われた、イベントの様子をご紹介します。
※それから僕の思うゴム時間についても。
日本インドネシア60周年イベント
今年は日本とインドネシアの国交樹立60周年ということで、メダンでも記念イベントが行われました。
このイベントは領事館と日本人会の主催。
僕も日本人会の一員として運営に携わりました。
イベントは大きく分けて講演会とステージ発表(各種大会)の2つ。
2日間にかけて開催されました。
問題もたくさんあったけど…。
今回僕は、ステージイベントを運営してくれるインドネシアの学生たちを統括する担当でした。
でも…
各プログラムの参加者が当日までわからなかったり…
日本的な時間進行と、インドネシアのゴム時間の狭間で戸惑ったり…
急に司会者がいなくなったり…
いろんな人から弁当ないのかと言われたり…
言わないと動いてくれなかったり…
食あたりで体調が最悪になったり…
思い出したら切りがないほどいろいろありましたが、無事終了する事ができました。
正直いろいろストレスな事もありましたが、インドネシアの学生と一緒にイベントをつくる事が出来、とても貴重な経験となりました!
本当に一生懸命頑張ってくれた、ハラパン大学の学生に感謝です。
これからも、インドネシアと日本の架け橋として成長してくれる事を願っています。
観光学校での文化祭
60周年イベントから1週間後。
メダン市郊外にある観光専門学校で「文化祭」が開催され、僕は2日目に環境についてのプレゼンテーションを行いました。(1時間ほど)
1週間前の日本人主催イベントとは違い、開始時間になっても会場には人がいません。
「あ、これがインドネシアだ」
と少し安心しちゃいました。笑
結局45分遅れで開始。
プレゼンは80人くらい聞いてくれましたが、いまいち反応が薄かったような…。
大人数はやはり苦手です…。
プレゼンの見直しも必要です。
ゴム時間
2つのイベントに参加し、僕自身ゴム時間(インドネシアの緩い時間)に慣れきっているなっと感じました。
インドネシア(僕の関わってきたもの)では、時間通りに会議やイベント、授業が始まる事はほとんどありません。
始まってもなかなか人が集まらず、終わりがけに来る人も多くいます。
そして大抵時計の時間は合っていません。
時間通りに行われるものと言えば、日本人が絡んでいるものくらい?です。
こんな緩い伸び縮みするようなゆるい時間を、インドネシアでは「ゴム時間」と呼びます。
その点日本は時間に正確で、遅れる事は恥だと感じる人がほとんどです。
日本の電車は1分でも遅れると、謝罪のアナウンスが流れます。
日本にいる間は「時間に正確」である事が当たり前だと思っていましたが、ここに来てその価値観が変わってきました。
「時間に正確=誰かの喜びを奪っている」
こんな一面もあるのではないかと考えるようになりました。
※逆も言えるとは思いますが…。
もちろんみんなが時間を気にしなかったら、世の中は成り立ちません。
でも時間を気にするあまり、誰かの喜びまで奪ってしまうようになったのではないか…。
というのは、今回イベントで学生に時間を気にするように注意するあまり、学生たちがイベント自体を楽しむ喜びを少し奪ってしまったのではないかと感じたからです。
ゴム時間に慣れきっている学生には、少し大変だったかな…。
他にもこんな場面でも、同じような事が言えるのではないでしょうか。
例えば、スーパーのレジがなかなか進まずイラつくとき。
不機嫌な顔をすることで、店員さんが楽しく仕事する喜びを奪ってしまう…。
例えば、食事の待ち合わせ時間に相手が遅れてきてイライラしたとき。
相手はもちろん、自分自身の食事や会話を楽しむ喜びを奪ってしまう…。
そんな一面もあるのかなと感じました。
もちろん何か正解がある訳ではありませんが、ここにきて新たな価値観を知る事が出来ました。
「時間=目安」くらいのゆるいゴム時間もいいなと。
でも日本に帰ったら、なかなかゴム時間で過ごす事は出来ないだろうけど…。
残りのインドネシア生活は、ゴム時間でいこう〜
と決めて同僚とおしゃべりする、サンタイ(リラックスした)な午後。
今日の職場は建国記念日に向けて、卓球大会がはじまりました。
平和な一日でした。
【ジャカルタ上京】ボランティア総会
こんばんは。
7月末、久しぶりにジャカルタへ上京してきました!
今回は5泊6日の日程で、健康診断、中間活動報告、安全対策協議連絡会、ボランティア総会、環境分科会、懇親会などなど、かなり詰まった時間でした。
中間活動報告会
インドネシアに赴任して、早15ヶ月。
今回は事務所員やボランティア、関係機関の日本人を対象に、中間活動報告を行いました。
プレゼン用の資料をつくりながら、改めて
「いろいろな人に助けてもらっているな」と感じました。
職場の人はもちろん、お掃除クラブのメンバー、日本語の先生、学校の生徒、メダンに住む数少ない日本人などなど…。
なんだかんだ活動が形になっているのも、支えてくださる皆さんのおかげです。
恩返しする意味もこめ、残り9ヶ月頑張ります!
ボランティア総会
半年に1度国内のボランティアが集う、ボランティア総会。
今回は僕が総会委員長を務めました。
前回の総会から約半年。
活動の合間に総会委員でじっくり煮詰めていました。
インドネシアは島国のため、近くの隊員以外とはほとんど接点がありません。
(メダンは近くに隊員がいないので…涙)
せっかく同じインドネシアにいても、ほとんど関わりを持たず帰任する隊員も結構います。
ということで今回の総会は「ボランティアの交流」をメインにプログラムを考えました。
なかなか上手くいかない事もありましたが、結果的には親睦の深まる良い総会になりました。
これも総会委員のメンバーのおかげ。本当に良い人たちで…。
彼らに心から感謝です!
日本食
今回もトンカツや豚の生姜焼き、ラーメンなどメダンでは食べられない美味しい日本食を堪能しました!
「日本食ってなんて美味しくて、健康的なんだろう」
感激でした。
次にジャカルタへ行くのは12月かな…。
おいしい日本食を楽しみに、メダンの活動がんばります!